日本語教育学会賞を受賞して思うこと

このたび日本語教育学会の第9回学会賞を受賞しました。これまでただただ教育現場で走り続けてきた私が賞をいただくなど、まったく思ってもみませんでした。そして、「これは私個人が頂いた賞ではない。これまで一緒に頑張ってきた仲間とともに受賞したのだ」という思いを強く持っています。

四半世紀にわたる日本語教師人生、それは決して平坦な道ではありませんでした。短期の養成講座しか受けたことがなかったため、始めたばかりの頃は知識も経験も非常に浅く、ひたすら勉強しながらの毎日でした。そんな私を支えてくれたのが、職場の仲間であり、他の日本語教育機関の仲間でした。そして、日本語教育学会や日本語教育振興協会という組織でした。

1991年4月に突然イーストウエスト日本語学校の教務主任になってからというものは大変でした。何しろ教務経験のない私が責任者となったわけですから、何をどうしてよいのやら~~~。一教師としては、かなりの経験を積んできましたが、学校を動かす、人を動かすという点では全くの素人でした。

そこから、私の「みんなで作ろう/みんなで走ろう」がさらに強まっていったのです。実力のない私は皆さんのアイディア、経験、情熱に頼らざるを得ませんでした。そして、それが楽しく仕事人生を送る礎になっていきました。「協働性と同僚性を大切にして、学校作りを進めたい!」と、今日まで走り続けてきました。

1997年は、3つの点で日本語教師人生の一つの分岐点となりました。1つは日本語教育振興協会が「日本語教員研究協議会における教員研究発表」を開始したことです。この知らせが来た時、研究方法もよく分からない私でしたが、無性に現場から発信したいと思ったのです。以前からやっていた「韓国語母語話者の発音指導」について発表した私に、コメンテーターの先生方は懇親会の席上「面白かったですよ」「独自の視点での発表だったのが良かったですね」「現場からもっと発信してください」とコメントを下さいました。これがその後の私の実践研究への関心につながっていきました。

2つ目ですが、やはり日本語教育振興協会が実施した第1回日本語教育セミナー(箱根会議)が私に大きな影響を与えてくれました。30人ほどの日本語学校の教育責任者が宿を共にし、夜を徹して語り合うなど初めての経験でした。この教育セミナーにおいていくつかのプロジェクトが提案され、私は「基礎日本語教育研究プロジェクト」のメンバーに推薦され、ここから理論面での更なる学びが始まったのです。

3つ目は、ACTFL-OPIとの出会いです。当時何年も前からOPIのワークショップを受けたいと思っていたのですが、4日間フルに空けるのは難しく、そのままになっていました。これも衝かれるような気持ちで受講を決めました。「皆さん、どうしてもOPIの考え方を知って、現場に還元したいと思うので、講師会の日程を変えてもらえませんか」と教務スタッフにお願いしての参加でした。このOPIとの出会いは、私の言語教育観を大きく変えてくれました。

実は、日本語教育学会事務局から「評議員就任依頼」のお知らせが来たのは、こうした大きな変化があった直後でした。最初は「私のようなものに何ができるのだろうか」と迷いがあったものの、「せっかく推薦していただいたのだから、せめて会議には全て出席をして、きちんと日本語学校の現場から発信しよう」と考えました。こうして動いているうちに、仲間はどんどん増え、あっと言う間に、学会は「仲間と会える楽しい場」と変わっていきました。

学会賞を頂くことになり、これまでの日本語教師人生を振り返ってみて、「ああ、私は、日本語教育学会に関わることで、日本語教師として成長することができ、大勢の素晴らしい仲間を得ることができたんだなあ」と改めて思いました。委員会活動にも幾つか関わりましたが、それは私自身を大きく成長させてくれました。仲間と議論をし、企画をして大会を作り上げたり、教師研修案をみんなでワイワイ言いながら練り上げ、実施したりすることそのものが、「教師の成長」につながっていったのです。

今回現場の一教師である私が学会賞をいただいたことで、「ああ、学会って、もっと身近なものなんだ」と多くの日本語教師の方々が思ってくださり、学会に足を運んでくださることを願っています。出来れば学会員として、ご一緒に活動していただければ、もっと嬉しいのですが~~~。

最後に、授賞式でお話ししたことを思い出しながら、皆さまへのメッセージとさせていただきます。

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実は、今回学会賞を頂くことになり、大変驚いております。と同時に、この賞は私個人に頂いたのではなく、これまで一緒に活動してきた大勢の仲間と共に受賞したのだ、と、そんな気持ちでおります。

私がこれまで特に力を入れてきたことは、3点です。1点目は、日本語学校に軸足を置いた、大学、日本語学校、そして地域社会との連携、ネットワーク作りです。2点目は、人材育成・養成、そして3点目は現場からの発信です。これからは、学会賞を頂いたことを新たな出発点として、より広いネットワーク作り、人づくり、そしてさらなる発信を心がけて参ります。

今回の地震・原発による直接、間接被害は非常に大きく、しかも複雑です。だからこそさまざまな人々が集う学会という場を通して、大勢の仲間と一緒に、「私たちに何ができるのか、何をすべきなのか」を考えながら、これからも活動を続けていきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願い致します。
そして、本日は本当にありがとうございました!
    授賞理由:http://www.nkg.or.jp/oshirase/gakkaisho_hayashisho.pdf

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日本語教育学会賞を受賞して思うこと への5件のフィードバック

  1. 佐藤正則 のコメント:

    改めて「受賞の言葉」を読ませていただきました。そして励まされました。ありがとうございます。AJGのパネルでの先生のメッセージも心に強く残っています。先生との対話を通し、連携の大切さと、もっともっと発信していきたい、それが希望に繋がると、強く思うようになりました。がんばります。どうもありがとうございました。

    • 嶋田 和子 のコメント:

      佐藤さん  コメントをありがとうございました。これからもいろいろな形で「人の輪」が広がっていくことを願っています。今は、日本語教師にとって厳しい状況ですが、だからこそみんなで力を合わせて、課題に向かっていきたいと思っています。今後ともどうぞよろしく!! 

  2. 谷路 清美 のコメント:

    「受賞を受けて・・・・」読ませていただきました。日頃のご活躍が想像されます。
    この九日にお目にかかれることを楽しみにしております。

    • 嶋田 和子 のコメント:

      谷路さま、コメントをありがとうございました。こちらこそ9日に「小松の皆様」にお目にかかれることを楽しみにしております。

  3. 増田公江 のコメント:

    今読ませていただきました。すばらしい感想と歩みです。主婦として全力で何時も歩いていたあなたにして、この新しい自分を生かし、世のためになるという歩みがあったのですね。徐々に、開けて行った何とも自然な教育者としての歩みがよくわかりました。どんなにか大変な時もあったことでしょう。それを乗り越えて今ここに賞をもらった。そのことがいかにも自然な流れに見えます。その陰に、お母さまの祈りが、あったことをも思いました。御高齢の母上のお世話はきっと大変なこともあるでしょうけれども、母の心からのエールが力となることもあるのではないでしょうか。私はなぜかとてもお母さまにお目にかかりたくなりました。そして何時かおめでとうを言わせてくださいね。長くなりました。失礼いたします。

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