東広島市の「ヤッチャル」&「奥村玲子さん」

U18と大人グループは同じ部屋で学習しています②

ヤッチャル&にほんごひろばU18

東広島市には、「こどものひろばヤッチャル(略称ヤッチャル)」という民間ボランティア団体があります。外国につながる子ども達、日本語を母語としない子ども達をサポートする活動を始めて早3年半。「ヤッチャル」とは、広島弁で「よ~しやるぞ~、がんばろう」という意味だそうです。

https://sites.google.com/site/yaccharu18/home

 実は、10月26日に東広島に講演に伺った時、「ヤッチャル」で中心メンバーとして活動していらっしゃる奥村玲子さんにお会いしました。子ども達一人一人の思いに寄り添い、温かい眼差しで見つめる奥村さんは、「外国につながる子ども/日本語を母語としない子どもの言葉の問題」について熱く語ってくださいました。聞けばご自身が3年間のアメリカ滞在中、3人のお子さんを通して「elementary, middle, high school」と3つの学校を経験し、さらに小学校のランチルームで3年間ボランティアとして子ども達のサポートをしていらしたのです。ご著書を拝読して、その経験が今の奥村さんの活動の原動力になっていることがよく分かりました。

U18と大人グループは同じ部屋で学習しています②

U18と大人グループは同じ部屋で学習しています

ご著書『私たちが通ったアメリカの学校』は、しっかりとしたフィールドワークに基づいた、400ページを超える大作です。今の日本における年少者日本語教育にとって示唆に富んだ1冊です。そこで、感想文を・・・とも思ったのですが、「いや、むしろ奥村さんご自身に登場していただこう」と考えました。どうぞ「奥村さんからのメッセージ」をお読みください。なお写真は奥村さんから頂戴しました。

参考:「ヤッチャル&U18の部屋」http://yaccharu18.blogspot.jp/

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◆奥村玲子さんからのメッセージ:著書『私たちが通ったアメリカの学校』

奥村玲子さん

奥村玲子さん

母国を離れ第2言語での生活や学習を“強いられる”子たちと初めて付き合ったのは1990年代半ば、当時住んでいた茨城県つくば市の小、中学校だった。中でも忘れられないのが6年生のPさん(本書2カ所に登場する)。母語と英語と日本語、すべてが中途半端になり、学習も友達づきあいも行き詰まってしまった女の子。自分の意志ではなく“親の都合”で日本に来たのに、子どもにとってこんな理不尽なことはない。

サポートする側にも大きな問題があった。当時はまだダブルリミテッドという言葉は浸透しておらず、誰もが彼女の抱える問題の本質を掴みきれなかった。一種懸命日本語を教えているのに、なぜこうなってしまうのだろう、彼女に日本語を教えるのは悪いことなのか?ボランティアは懐疑的になり、罪悪感を覚える人すらいた。

『私たちが通ったアメリカの学校』

『私たちが通ったアメリカの学校』

数年後、私たちは一家でアメリカへ渡った。日本人学校のない地域だったから、3人の子どもは現地校へ行くことになる。Pさん以来、ずっと『2言語の子』が頭にひっかかっていた私にとっては、またとない機会である。この際、アメリカの学校で学ぶ子どもたちを、じっくり見てこよう。その一方で、私は心密かに誓った。『親の勝手』を強いる以上、わが子にはできる限りのサポートをする。絶対にダブルリミテッドにはしない。自分自身も勉強する。3年間、親子で壮絶な試行錯誤を繰り返し、その体験を本書第2部で詳述した。そこから見えてきたのは、「母語を生かしながら(伸ばしながら)、第2言語、教科を学ぶ。どちらの言語でも良いから年齢相応の思考力を育めるような素材を提供し、子どもたちの『考える力』を伸ばす」ことの大切さである。わが子は、英語でうまく書けない時は作文もレポートも日本語で書かされ、「アメリカにいるのに何で日本語?」と目を白黒させていた。

近くの中学・高校国際交流部と一緒に①

近くの中学・高校国際交流部と一緒に①

現在ヤッチャルで向き合うYさん(小6:中国から来日して半年)には、学校の日本語指導教員と相談して、夏休みの宿題(作文)を中国語で書いてもらった。内容、構成、豊富な語彙、日本語での学習だけでは、子どもの思考力を伸ばすことはできないと痛感させられた。

アメリカ滞在中、私はもうひとつ得難い体験をした。ランチルームのボランティアをする中で、メキシコ、ボスニアなど、親の都合でアメリカへ渡り『2言語』で苦闘する子どもたちと向き合ったことである。中でも敬愛するのはG家3兄妹(本書に頻繁に登場する)。あの子たちは2言語環境でも、そして経済的に恵まれなくても、「家族が幸せになるには、そして人間がたくましく“生きる”にはどうすればいいか」ということを私に教えてくれた。

つくばやわが子の体験では、ともすれば言語習得、学習面に目が向きがちになった。あわよくば、バイリンガルになればいいな、と欲を出してもいた。しかし、誤解を恐れずに言えば、そんなことを考えられるのは、なんて幸せな事なんだろう。今ヤッチャルで向き合っている子たちは、経済的にも、家庭環境にも恵まれず、母語喪失、不登校、学習の遅れ、人間関係の未成熟など、問題山積みの中でもがいている。これはまさに、アメリカで出会ったメキシコの子どもたちの姿そのものなのだ。

近くの中学・高校国際交流部と一緒に②

近くの中学・高校国際交流部と一緒に②

あの時、あの子たちとぶつかり合ったから、今、ヤッチャルの子どもたちに対して、何が必要か、何が大切か、多少なりともその子の身になって考えるようになったのかもしれない。あの格闘がなかったら、一方的に自分の理想を押しつけて、子どもたちにそっぽをむかれていたことだろう。

すべては出逢いからはじまる。つくばの子どもたち、アメリカ、メキシコの子どもたち、間瀬さん(東広島市多文化共生コーディネーター)とヤッチャルの仲間、にほんごひろばU18の子どもたち、そして嶋田先生、感謝!

*注:つくば市の小、中学校については、つくばインターナショナルグループ学校部編(2003)「日本語教室」、明石書店をご覧ください。

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参考:アクラスHP →東広島市に見る「多文化共生町づくり」 http://www.acras.jp/?p=2042

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