留学生が語る〜私が幸せなわけ

これは、2007年3月にイーストウエスト日本語学校で行われたスピーチコンテスト午後の部の入賞作品です。

投稿者 林昭延(韓国)イーストウエスト日本語学校
2007年3月13日投稿

 みなさんは いつ なきますか。
 じんせいは よろこびと かなしみが りょうほう あります。
 たまに おもうぞんぶん 泣いてしまいたい 時が ありますが、わたしは なみだが でません。それは どうして でしょうか。

 わたしの とても 小さい ころを 思い出して みます。わたしは かんこくで うまれて、一人きりで アメリカへ りゅうがくしました。

 その とき としは 10さいでした。しゅっぱつする まえ よわい すがたを みせたくなくて りょうしんが さるまで まってから 泣きはじめました。

 「わたしは ひとりだ」とかんがえて、くもを みても きを みても 人々を みても、なみだが するすると ながれました。あの時 一生分の 涙を すべて流しましたから、もう これ いじょう 泣くことが できなくなりました。

 アメリカで 日本人の イメージは じぶんの かんじょうを よく おさえて むやみに なみだを みせない ひとです。

 さびしさと じんしゅさべつの 中で、わたしは れいせいな 人に かわって いきました。そのためか アメリカ人たちは よく 私を 日本人だと おもいました。じっさいに わたしの おばあさんは 日本人です。だから アメリカの せいかつで いちばん たいへんな 点は わたしの アイデンティティでした。

 「あなたは かんこくじんですか。にほんじんですか。アメリカじんですか」でも わたしも わかりませんでした。

 こちらへ きたら そういうものは もんだいに ならない ということが わかりました。 ここには いろいろな くにから きた ひとたちが いますけど、わたしたちは おなじ がっこうで いっしょに べんきょうして、けっきょく ひとつ なのです。

 もう ひとりに なれたと おもいましたが、日本の せいかつが すこしはさびしいです。 しかし わたしは なみだが もう ありませんから、わらうしか ありません。 わらうことだけ のこった という ことです。

 みなさんも わたしの ように わらうしかない じんせいに なって ほしいです。

 いっしょに 笑いましょう!!!

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