朴柘盈さんの「人生の皿回し」というエッセイは、暖かいコメントをいくつも頂き、その上、編集委員選賞と編集部長賞を頂くことになりました。
電話で結果をつげた講師に朴さんは「すっごく嬉しいです!」と話していたそうです。
私は、朴さんと手紙やメールのやり取りをしているうちに、今年春の卒業生が懐かしく思い出されました。そして、「卒業文集」を開いた私の目に飛び込んできたのが、この「壱から拾まで」という朴さんのエッセイでした。彼女に早速、投稿を勧めてみました。
「日本では<4>と<9>が縁起が悪い数字です」などと、当然のごとく話していた自分がちょっぴり恥ずかしくなりました。朴さんの柔軟なモノの見方、感性豊かな表現に感服。これからは私も「幸せの<し>」と言うことにします。
投稿者 朴柘盈(韓国)イーストウエスト日本語学校
2008年4月12日投稿
受験のとき韓国では「落ちる」という言葉が、日本では「すべる」という言葉が禁語だと言われて、「し」は「死」の発音だと言われて、人から嫌がられているようなことがあります。
こんなふうに私も言葉に支配されているような人間の一人であって、受験の時に電車に乗るとき「5号車がいいな」とか「きょうのランチ合計が777円だったから運がよさそう」と考えたりします。
そんなことを考えている間、時々「し」は「幸せ」の「し」だったらどうだろうと思い、電車の順番の番号を見ていて急に「壱から拾」を思いつきました。これは電車を待ちながら考えたものです。
壱は いちにち考えて悩んだときが雨の日だったとしたら
弐は にじ咲く空はその答えだと思う。
参は さんざん悩んでみても今は答えが出なくても
四は しあわせになる答えが必ず浮かんでくること。
伍は GOするしかないんじゃないでしょうか、GOしようじゃないか。
六は ロックした心を開いて
七は ななつの色に輝いている答えを見つけて
八は はちのようにめいっぱい羽ばたきめざして最後に
九は きゅうっと抱きしめ合いながら話してあげましょう、と。
拾は 「じゅうぶんがんばりました。お疲れ様」
と思っていたら、電車はもう行ってしまったんだけど……。
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