桜と胡蝶蘭—日本と台湾のある国際結婚ストーリー たった5日の観光旅行で和服に魅せられ、留学、結婚、ついに帰化

「先生、私が縫った和服、見てください」と、作品を手に10年前の卒業生がイーストウエスト日本語学校にやってきました。2000年3月に日本語学校を卒業し、すぐに台湾に戻って仕事をしていた頼銘君さんでした。

彼女は今も台北にいるとばかり私は思っていたのですが、帰国して2年後に日本の男性と結婚し、台湾での結婚生活を経て、東京で暮らして5年になるというのです。今日は、急に日本語学校時代が懐かしくなり、昔習った先生方に会いたくなって訪れたのだそうです。

作品を手にする萌以さん

銘君さんが日本に留学したきっかけは、5日間の観光旅行でした。当時の銘君さんは仕事も順調に進んでいたものの、来し方・行く末を真剣に考え始めていたところだったのです。

「果たして人生、このままずっと仕事を続けているだけでいいんだろうか。自分は一体何をしたいんだろう?」

そこで、「まずは行動!」と積極的な彼女は、早速日本旅行を計画しました。その初めての日本訪問で一番印象に残ったのは「和服姿の女性の美しさ」でした。

「着物ってすごい! 女の人の首のところ(首筋)はきれいだなあ〜。私、日本文化をもっと知りたい。とにかく日本に留学してみよう!」

こうして始まった1年半の留学生活は、たくさんの思い出、日本人の友達、楽しい文化体験でいっぱいだったと、銘君さんは語っています。そして、すぐに今の生活についての話で盛り上がりました。

道中着と名古屋帯

「先生、私、帰化しました。帰化と永住権と2つの道があったけど、主人と同じように『家』を守りたいって思いました。主人が育ってきた大切な家ですか ら。台湾にいる父は悲しがりました。私も、父からもらった2つの名前を捨てることが申し訳なく、泣きました」(台湾では、結婚しても姓は変わりません。)

「中国の名字から日本の名字に変わるし、名前も変えなければなりません。『銘君』っていう台湾の名前は、日本では女性の名前としては合いません。『銘』も男の人の名前みたいだし、それに『君』がつくと変でしょ?」

「新しい名前は『萌以』と書いてメイです。父からもらった『銘』と『萌』が中国語で『ミン(ming)』と音が同じだから。それで、父もOKです。あの、中国の名前の『銘君』は<夫を助ける>っていう意味なんですよ!」

国際結婚なのですから、もちろん行き違いもあります。結婚してすぐにこんなことがあったと語ってくれました。

「お義母さんは、何でもすぐ『日本人はね』って言うので、困りました。何か教えてくれる時、すぐ『日本人は』っていうから、私にはそれがちょっと…。そ うそう、先生、バナナってどうやって皮を剥きますか。上から下?下から上? お義母さんは『日本人は下から上に剥くから』と、私にもそうやるように言いま した。でも、私はそうかな?と思って、次の朝主人にバナナを1本あげました。そしたら、私とおんなじ上から下でした。私は主人に『あ、あなた、日本人じゃ ないね!』って言ったら、お義母さんも納得。いろんなことがあるけど、でも楽しいです」

銘君さん、いえ、今は萌以さんになっている彼女は、見事な智恵で、異文化の中での生活を楽しみ、新たな挑戦を続けているのです。では、和服の話に移りましょう。

10年ぶりの再会

雨の降る中、萌以さんがイーストウエストまで持ってきてくれた黒地に胡蝶蘭の柄の「道中着」と「名古屋帯」は、「秋期作品展」に出す作品です。彼女自身が書いた「作品解説」を見せてくれました。萌以さんに許可をもらって、その一部をご紹介します。

■和裁の勉強は私にとって、視野がもっと広がります。日本の文化を知りたいのに、言葉の問題は最初の時、すごく辛かった。その時私を支えてくれた人は主 人です。感謝の気持ちは深いです。教科書を読みながら、1つづつ専門用語を覚えて来ましたが、その楽しさはたまらない位うれしいです。

■胡蝶蘭は世界の中で台湾からの輸出量が第1位で、世界蘭の展示会でもチャンピオンです。台湾出身の私はその誇りの気持ちでこの柄を選びました。胡蝶蘭 の花言葉は台湾では「幸せが飛んでくる」「あなたを愛します」「優雅」など。裏地の桜の柄は○○先生と相談しながら、教室にある着尺地の中から見つけまし た。この柄は一目惚れでした。日本は主人と私が今人生を歩んでいる国です。桜みたいに精神の美しい、高尚な人になりたいと思います。

萌以さんは、丁寧に着物を畳み直しながら、こう言って帰っていきました。

「先生、人間は親は選べない。子どもも選べない。神様が決めること。だけど、24時間の時間は選べます。自分の使い方で、その時間は違ってきますね。だ から、私はこれからも、もっともっと頑張って、いろんなこと勉強します。そして、家族や友達と一緒に楽しみますよ。やりたいことがいっぱいですから。4歳 の息子が日本と台湾の架け橋になってくれることが夢なんです。頑張りますね!」

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