新聞記事を見て思う「本当の批判的思考とは・・・」

一昨日の天声人語の記事(http://www.asahi.com/paper/column20111001.html)では、さだまさしの「追伸」を引用し、「<あなたがとても無口になった秋に>と続けば、野田首相の仏頂面が浮かんでくる」と始まっています。昨今の新聞・テレビの報道に疑問を感じている私は、ひと言意見を述べたいと思いました。

8月末に誕生したばかりの野田総理、まだ1ヶ月強の活動期間だというのに、もうあげつらいが始まっていることを思うと嘆かわしいかぎりです。
 
〇臨時国会での用心深い受け答えには、説法で鳴らした面影は薄い
〇弁舌は安カマボコのように、板には付いているが味気ない
〇歌を忘れたカナリア哀れ。役人言葉をよどみなく吟ずる姿はつらい

「もう総理の短期交代はやめよう。今こそオールジャパンで復旧・復興に向けてがんばろう!」という掛け声のもと始まった新内閣のリーダーに、冷たく突き放した言い方をするのはなぜでしょうか。良い点を見て、それを育むような姿勢であってほしいものです。

そもそも新総理が「用心深い受け答え」になるのは、メディアの報道の仕方にもあるのではないでしょうか。メディアが失言居士による問題発言をしっかり伝えることは大事なことでしょうが、小さなことをアレコレあげつらうメディアに慎重になるのは当然です。ちょっとしたことが政局の混乱の一因にもなりかねないのですから……。

ここは一つメディア関係者にも、本当の意味での「批判的思考」をしっかりと身につけてほしいものだと思います。「批判的」というと「人の悪いところをあげつらう」と、ネガティブに捉える向きがあります。Wikipediaにも次のような説明があります。

「『批判』という言葉は反対する、受け入れない、などのイメージから「否定」という言葉と同義で用いられるケースが少なからず存在するがここでいう批判とは情報を分析、吟味して取り入れることを指しており客観的把握をベースとした正確な理解が必要とされる」

「批判的思考」の特徴として次のようなことがあげられます。
・情報や意見をそのまま鵜呑みにするのではなく、論理的に考えてみること
・物事を多角的・多面的に捉え直し、多様な可能性を考えること
・自分自身の考え方が偏ったものではないか、常にチェックし続けること(メタ認知)

道田泰司氏は「批判的思考研究からメディア・リテラシーへの提言」という論文の中で、批判的思考の概念を図式化し、「問題の発見・解の探索・解の評価・解決」というプロセスの中で、「見かけに惑わされず」「多面的に捉えて」「本質を見抜く」ことの重要性を述べています。(http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~michita/works/ciec00/ciec00.html

こう考えてくると、この天声人語の野田関連記事は、「見かけに捉われ」「一面的に見て」「表面だけ」で書かれた記事であると言えます。最後の段落など、「手法や政策が大して変わらないなら、政権交代は茶番であろう。違うと言うなら野田さん、地声で歌いませんか」と述べられており、むなしさを感じてしまいます。なぜもっと具体的な「するべきこと・あるべき姿」を述べられないのでしょうか。

9月25日に行われた「日本語教育の公的保障と教育支援システムを考える」というタイトルのシンポジウムの総括で語った山田泉氏の言葉を紹介したいと思います。

「日本は近代化したけれど、『国民の近代化』はなされてない。つまり『主権者の教育』が行われていないんです。それは、ヨーロッパが300年かけて行った近代化を日本は100年でやってしまった、『圧縮した近代化』が行われたことが原因です」

今回、10月1日の天声人語を取り上げましたが、メディアや政治家だけに問題があるのではなく、むしろ「主権者としての私たち」自身の成長が遅れていること、十分でないことを認識すべきだと思います。書き手も読み手も、話し手も聞き手も、みな自分自身を振り返り、さまざまな対話を通して自己理解・他者理解を進め、日本人にも外国人にも住みよい日本社会を作っていきたいと思います。

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