「ぜひ日本留学したい!」と思える社会に!

 「違いを束ね、太い一本に」という記事を朝日新聞の朝刊で目にしました(1月30日)。インタビューを受けているのは、スリランカ出身のにしゃんたさん。17歳で来日し、長く日本で暮らす彼の言葉には重みがあり、いろいろ考えさせられました。

 項目を付けて、感想を述べたいと思います(項目立ては、筆者によるものです)。

 ■元気がなくなった日本社会
にしゃんたさんは、次のように語っています。
「あの頃は日本人も大きなこと語ってましたよ(17歳で来日した頃)。でも今は、大人も子どもも夢を持っていない。『よう来た、日本ええ所やろ、がんばって勉強しいや』って胸張って言える日本人が少ない。日本への留学生の多くはアジアからです。彼らは勇気を振り絞って日本に来て、がっかりするんです。日本が留学生の前向きな気持ちの受け皿でなくなり、がっかり度合いは年々増している気がしますね」

 地震・原発で日本留学を目指す留学生が減ったことが大きな問題となっています。しかし、実は、それ以前から「日本留学の魅力が薄れたこと」が問題だったのです。それが、3.11で噴出しただけなのですが、どうも日本は根本を問おうとせず、またまた対症療法的なことばかりやろうとしています。

夢を持ってきた留学生が、その夢をさらに膨らませ、自己実現のために目を輝かせるような社会でなければ、小手先の対応をしても意味がありません。果たして日本の大学は留学生が満足できる“学びの場”“出会いの場”を与えているでしょうか。また、日本で暮らす人々がどれだけ夢を語り、未来に思いを馳せているでしょうか。

 ■日本が失ったもの
にしゃんたさんは、日本が経済力や自信を持つことで失ったものとは、「アジア人がおしんで共感した『おかげさま』とか『お互い様』といった心。それってアジアらしさなんです」と語り、そのアジアらしさを再発見してほしいと日本人に訴えています。

私は、「お互い様」という考え方は、今でも日本人の心に残っていると信じています。それが、見えにくくなり、感じにくくなってはいますが・・・・・・。では、「再発見」するには、どうしたらいいのでしょうか。それには、もっと客観的に周りを見、自分自身を見つめ、他者との関係を築く力が求められてきます。しかし、現在の日本における教育にこうした視点が十分に考慮されているでしょうか。

 ■違いを豊かに束ねる力
にしゃんたさんは、異質なものを受け入れるのが苦手な日本社会に対して、「違いは敬遠するためじゃなく、関わるためにある」とし、大切なのは「違いをどれだけ豊かに束ねられるかです。アジアとの関係もその発想です」と言い切っています。

さらに、毛利元就の「3本の矢」の逸話を持ち出し、「日本は隣国の文化を都合よく吸収して発展してきましたが、同化、均質化した矢では弱い。これからは、違いをありのまま束ねてアジアを太い1本にしていく時代です」と続けています。

こうした発想が日本にはまだまだ欠けています。人と違うことを嫌い、「みんな一緒」を重視している日本社会。そこでは、留学生が持ち込んでくれるさまざまな「違う文化」に触れる良さをなかなか理解できないのは当然です。日本社会にとって、何という大きな損失でしょう。そして、均質化を求める社会では人々は住みやすいとは感じられず、多くの留学生の来日は望めません。

最後ににしゃんたさんの言葉を引用して締めることとします。「『国際』関係から『民際』関係へ」という言葉を胸に刻みつつ・・・・・・。

◎「関わることでさらに違いを知り、心や言葉、制度の壁に気づき、それを取っ払うんです。」

◎「人の交流が進めば進むほど、心の壁は低くなっていくはずです。それは、国同士がやる「国際」関係ではなく、民同士の「民際」関係の役割なんです。

参考:にしゃんたさんのブログ http://ameblo.jp/nishan-japan/theme-10021217023.html

 

 

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