「泳げぬ子に丁寧な指導を」~教育全般に求められる「個別性」

7月13日の朝、渡辺氏から「泳げぬ子に丁寧な指導を」という投書が送られてきました(新潟日報)。「水泳の指導」についての記事ですが、これは教育全般に共通する、「個別性」の重要性にに関する投書です。「クロールができない生徒」には、「息継ぎの仕方と体の使い方」を教え、「平泳ぎができない生徒」には、「腕の動かし方と呼吸のタイミング」を教え、短期間の間に生徒たちは見事25メートル泳げるようになったというのです。

さらに、渡辺氏は「学校などでの集団練習で一人一人の欠点を見抜き、的確な指導が困難」「競泳選手育成を目指すような指導方法」に、こうした泳げない子を作っている原因があると述べています。このことは、教室で、教師がどれだけ学習者一人一人の力に注目し、学習者に合った方法で指導しているか、という教師に対する問いに繋がります。

また、競泳選手育成というのは、入学試験や資格試験をめざした指導に繋がっていきます。果たして私たち日本語教師は、ていねいに学習者一人一人を観察し、洞察し、そして、きめ細かな指導をしているでしょうか。

「子どもたちが泳げるようにならなければ、教えたことにはならない」という渡辺氏の言葉をそっくり日本語教師に投げかけましょう。学習者が日本語を使って、伝え合い、自己表現をし、人と繋がっていくことができなければ、教師は教えたとは言えないのです。

改めて、「学習者一人一人を見ること」の大切さを思いださせてくれた「投書」でした。

 

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