「教育再生」に現場の視点を

政府の教育再生会議は19日、12月に予定されている第3次報告(最終報告)に向けて、最初の会合を首相官邸で開き、検討を始めました。日本語学校で留学生教育に携わっている私は、第1次報告を読み、「留学生100万人計画の画餅」という記事を書きましたが、今回は、再生会議における日本の公教育への改革案、そして2009年度より実施が決まった教員免許制度について感じたことを述べたいと思います。

多くの問題点を抱える教育の現状を何とかしなければ、「明日を担う小中学生の健全な成長」は難しいという考えから、教育再生会議では真剣な議論がなされています。しかし、その底流に流れる全国画一主義、結果主義、上意下達主義には疑問を感じずにはいられません。

まず根本的な問題として「分析の甘さ」があげられます。たとえば、OECDが行った学力調査の結果、日本の小中学生の学力は低下しているという報告を受 け、教育再生会議では授業時間数の増加を提言しています。「考える力」を求める試験において結果が悪かったからといって、授業時間数を増やして対応すると いうのは、あまりにも短絡的な発想ではないでしょうか。もちろん全体的に基礎学力が低下したことも授業時間数増加の理由にあげられています。しかし、基礎 学力の低下を解決するには、授業時間数の問題より、どうやって学習意欲を持たせるのか、学びたくなるような授業はどうすれば可能なのかといった議論のほう がより重要なのではないでしょうか。

こういった生徒の学力低下は教師力の低下にあるとして、10年ごとの教員免許更新制度が決められました。たしかに一度教師になったら、よほどのことがな い限り教師が続けられるという制度に問題はあります。しかし、だからといって10年ごとに定められた講習を受けることで免許更新ができるといった制度で、 教師の質の向上が図れるとは考えられません。もっと「プロセス評価」という視点を盛り込むべきではないでしょうか。

海外に目を向けると、アメリカのNBPTS(National Board for Professional Teacher Standards=米国教師基準評議会)では、事前のプロセス評価と試験センターにおける試験とをうまく融合させた現職教師の評価検定を実施していま す。これは、教師全員に対してではありませんが、1つの知見として参考になるものです。

単に、単発の研修、セミナー、講義に参加して教師力の維持を図るという発想ではなく、主体的かつ創造的にワークショップで学んだことを現場に活かし、ま たそれを研修につなげるといった現場との有機的な関係性を持った研修でなければ、単なる「儀式」に終わってしまう恐れがあります。「評価 (evaluation)」とはそもそも「もっているものを引き出すこと」であることを考えると、日本の教育界においても、もっと多様な評価に目を向け、 教師自身が次につなげることのできる評価システムを考えていく必要があると考えます。

文科省では教員免許更新制度の2009年4月開始に向けて、講習など具体的な制度作りに鋭意努力しているという報道がなされています。しかし、なぜその ような制度を決める前にもっと十分な議論がなされなかったのでしょうか。修了基準についても現段階では決められていないと報道されています。また講習は 「文科省が定めた基準に沿って主に大学の教授・准教授が専門分野を教える」とありますが、10年後に求められる講習とはいったいどういう内容なのでしょう か。現場の事例をもとにした事例研究や、自分自身の振り返りができるような研修が現職教師には求められているのですが、そういった視点は欠落しているよう に思えてなりません。そして、そういった現職教師の研修には、現場をよく知らない大学教官ではなく、経験豊かな現場の「ティーチャーズティーチャー」こそ が担える研修であると考えます。

また、教育再生会議では「徳育の教科化」を提案していますが、教科として走らせる前に、もっとすることがあるのではないでしょうか。杉並区立和田中学の 藤原校長が行っている「よのなか科」も1つの試みですが、多様な人との交わりを通して、子供は「人と人とが関わって生きていること」の意義を学び、関わり 方を体得していくのです。もっと公教育のシラバスやカリキュラムの自由度を増すこと、教師の意識を変えることが重要です。私の日本語学校には、多くの大学 4年生が教育実習に訪れます。そこで、多様な文化を持つ留学生との触れ合いの中で、自分自身を大きく成長させていきます。

そう言えば、総合学習が始まり、小学校で国際理解教育を始めなければならなくなった時期、いろいろな先生方が当校にお見えになりました。そして、こんな言葉が聞かれたものです。

どうやったらいいのか、わからないんです。急に国際理解教育って言われてしまって。とにかく留学生と交流させてください。何しろマニュアルがないんで、どうしていいのか……。

そしていろいろな交流授業が始まりました。今でも続いているものもあれば、「もう総合学習はしている暇がありませんから」と、はっきり終了を宣言なさった小学校もありました。そこには確固たる教育理念ではなく、文部科学省への気遣いばかりが感じられました。

授業時間数の変化、教科内容の表面的な改革にばかり力を注ぐのではなく、「どうしたら生徒が『学び方』を学ぶことができるのか」「人とのかかわりの中で 自らが成長するということを、どうやったら子供たちが分かるのか」といった観点が、教育再生会議には欠落しているのではないでしょうか。

政治に振り回された「はじめにスケジュールありき」の教育改革は、もうやめていただきたいと思います。教育問題は30年後、50年後の日本の将来を大き く左右します。十分に現場の状況を知った上で、現場の視点で、1人ひとりの子供を大切にし、そして現場で熱い思いで頑張っている教師をさらに疲弊させてし まうことのない教育改革を願わずにはいられません。

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