真の異文化交流とは?(1)お互いに近づくために

投稿者 金チョロン(韓国)イーストウエスト日本語学校
2008年1月8日投稿

 私が日本語を勉強しているイーストウエスト日本語学校には、交流のために日本人の大学生と討論をする「ビジターセッション」という時間がある。

 11月3日、そのビジターセッションの時間に私たちが授業を通して学んできたテーマで日本人の大学生たちと話し合った。事前に準備したテーマは5つ。「若者達の文化」「いじめの問題」「男女の社会的問題」「男女の社会的役割」「日本人の優越性、閉鎖性」「会社への帰属意識」だった。この中には「お互いに話し合うとしたら、少し微妙じゃないかな」と思われる問題もあった。その時間は、私たちにとってとても勉強になるいい経験だった。

 私のクラスには、今、台湾、ロシア、韓国から来た人たちがいるが、ビジターセッションの中で、私は、これらの国と、日本人との話し方の違いを痛感した。そしてこれは、ただ日本人の話し方の問題なのではなく、お互いの国民性が反映されていると思えて、私には結構おもしろかった。それでこれについて話したいと思った。

 ビジターセッション中、日本人の大学生から返ってくる答えは、「祖母は……」「家族は……」「〜と言う人もいる」などというものが多く、「私は……と思います」というものがなかった。日本人は、私たちが「イエス」か「ノー」か、本当にはっきりと言ってほしいと思うときにも、必要以上に相手に気を遣うようだ。

 だから「人それぞれ違う」とか、「その状況になってみないとわからない」というような答えが返ってくることが多くなるのではないか。しかし、それがその人の本心かどうか、私たちには分からない。だだの「決まりきった受け答えの表現」のようにも感じられた。

 私たちは、はっきりと意見を言いあって仲良くなりたいと思っているのに、当たり障りのない表現で話が終わってしまうと、コミュニケーションは壊れないのだが、もどかしい気持ちがずっと続く。はっきりと言ってくれないから、「この問題には興味がないんだろう」とか、「いや、本当は明確な意見を持っているが、日本人だからはっきりとは言わないのだろう」というように憶測で考えてしまう。次に会うときも、このもどかしさが続いているから、深く話し合うことは出来ないように思う。

 コミュニケーションを壊すまいとして、相手に気を遣って自分の立場をはっきりさせない日本人と、はっきり言わないとコミュニケーションにならないと考える、台湾、ロシア、韓国から来た学生である私たち。

 どうしたら本当の気持ちを伝えられるのか考えさせられた。お互いの話し方の違いを認め合って、本当の気持ちが伝わるように、私たちも歩み寄り、できれば、日本人のほうからも近づいてきてほしいと感じた。

カテゴリー: 留学生の声 パーマリンク