ボランティアしてわかった私の傲慢

これは、2009年3月にイーストウエスト日本語学校で実施された「なでしこ作文コンテスト」の入賞作品です。

投稿者 宋錦(韓国)イーストウエスト日本語学校
2009年3月22日投稿

 歳月の流れは「またたく間に」というその言葉は本当に合います。日本に来てからすでに1年に成っていく今、私はどれぐらい日本を知っていて、どれぐらい日本を理解しているのか。その時を思い出すと話も下手な私が「何の勇気があったのか」とする気がします。

 日本に留学にきて3ヵ月もたたない時期。日本にきたから直接日本人とぶつかってみたいという好奇心がもっと大きかったかもしれません。「サクランボ」というボランティアに参加することにしました。

 初めて接する日本集団。たんなる好奇心が私に大きくないけれど文化的衝撃と恥ずかしさを持ってきました。年取られた方々のために奉仕するという簡単な説明だけ聞いてかるい気持ちで訪ねて行った「サクランボ」には、その前日あらかじめ多くのクッキーを作って来た方を中心でお茶を準備してテーブルを整理して全てのものが短い時間に完了しました。

 作ったクッキーは売っているものと同じぐらいすばらしいものでした。そんなそれぞれが自分の役割をきちんと理解していてスムーズに準備できたことに感動しました。クッキーも、お茶も減っていく時間がなぜそのように長く感じられるのか…。

 そばですることを盗んでみてまねるのに忙しかったその日は、なれていない日本文化にあらかじめきちんと準備できてなくて、いい加減に考えた私のあまさを恨みたくなりました。もちろん私の国でもボランティアをした経験がありました。学校で構成されたスケジュールのとおり時間だけ過ごせば良いそのようなボランティアの経験。その時だけ適当に過ごせばそのまま授業の点数をとることができたそのようなボランティアの経験でした。こういう経験が「ボランティアはたいしたことじゃない」と先入観を与えたのかも分りません。

 その日はちょうど障害者団体が来て公演をする日でした。公演する時間に合わせて他の作業をした人が三々五々集まっていつのまにかそこには巨大な公演会場というほど熱気でいっぱいでした。障害があるので頑張って楽器を弾いて、拍子を合わせて最善を尽くす彼らを見てかわいそうな感じを見ている私を見ました。でも、私を除いたほかの人々の顔には真心からわき出た笑っている人々。心からにじみでる拍手。突然私だけ一人で他の空間にいるような感じがありました。

 障害者らに対する人々の自然さ。
 小さいことでも大切に考える人々。
 外国人という型をなくす人々。
 こういう思うことさえも、恐らく私が作っていた型のせいでできた壁ではないかという気がしました。
 
 今の現代、言語も、人種、また民族を超越しなければならない現代に生きている私、今までこのような知識だけを積んできていたのではないかと思っています。

 知識ばかりの頭の中で何を解決しようとしていたのか・・・。私は何を理解しようとしていたのか・・・。頭の中だけで文化、国、民族を理解しようとしていた私、その日何時間かで私の考えががらがら崩れました。その日は近くて遠い文化、日本、遠く感じられた私の考えを変化させる一日でした。

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