私の中の日本、日本の中の私 日本文化のド真ん中にいることに気づき、毎日が新しい出会い

これは、2009年7月にイーストウエスト日本語学校で行われたスピーチコンテスト午前の部の入賞作品です。

投稿者 朴恩志(韓国)イーストウエスト日本語学校
2009年8月5日投稿

 私は韓国の大学で韓国語・韓国文学を専攻しています。1年生の時、私は教授からこういう言葉を聞きました。

 「今、国語の教師になろうとしている人はとても多い。でも、今から韓国語の勉強をする君たちがすることは、世界中の人に韓国語を教える教師になることだ。アメリカ人にはアメリカ人に合う、日本人には日本人に合う韓国語の教え方がある。それをよく考えなさい。」

スピーチをする朴恩志さん

 生まれて1度も教師になろうとは思わなかった私ですが、教授のこの言葉は私にとって大きなショックでした。自分がやりたいことをやっと見つけた気がしました。私は、日本人に韓国語を教える教師になりたいのです。

 それで私は、そのためにはどうしたらいいかを考えました。それは「文化」を知ることでした。文化が一番よく表れているのは言葉だと思った私は、日本語を習い始めました。でも、日本語を習うことだけを考えていて、文化どころか文法や漢字を覚えるのに精一杯でした。そしてそのまま今年の4月に日本へ来ました。今思えば、私はただ言葉を習うことだけ考えていて、私の中では日本語をプレッシャーに感じていたのかもしれません。

 とりあえず日本へ行ったら何とかなると思っていた私は、日本へ来てさらに、自分の無知に気づきました。「文化」を知るってきれいごとばっかり言って、私は今自分がどこにいるのかを忘れていました。私はまさに日本文化のド真ん中にいたのです。

 それに気づいた私は、変わりました。毎日が新しい出会いでした。たとえば、私は日本人はみんなあだ名を持っていることに驚きました。友だち同士に限らず、目上の人もそれで呼びあっていました。

受賞後、司会の留学生からインタビューを受ける朴さん

日本人の友だちの家で「うちのおばさん、ヤスちゃんだよ。」と紹介してもらった時には、私はどう呼んだらいいのかと、とまどいました。また、その人から友だちを紹介してもらう時も「左からゆうたん、マリオ、クーちゃん、よっぴーだよ。」と言われると、「えぇ! 本名は教えてくれないの?」と思いました。

 でも、それにもだんだんなれて来て、今は私の本名を言った後、「シーちゃんって呼んでいいよ。日本人の友だちはみんなそう呼んでるから」って言えるようになりました。いつも感じていたプレッシャーは、文化を知る楽しさに変わりました。今は毎日がうれしくて、楽しくて、キラキラ輝いています。

 これから留学する中で、私はいろんな文化にふれ合うでしょう。それを私の財産に して、これからも自分でできることを頑張りたいと思います。
 
 みなさんの日本はどうですか。 日本へ来る前と、みなさんが日本の中にいる今、日本はどう変わりましたか。 日本での時間、みなさんの毎日がキラキラ輝くことを願います。

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