3月11日の東日本太平洋沖地震から3週間が過ぎました。宮城、岩手を中心とした被災地の皆さまの大変な生活、大切な人・思い出の品々を一瞬にして失った方々の胸の内を思うと、「自分には一体何ができるのだろうか」と自問自答しながら、義捐金での協力、節電・節約に励むだけの協力しか出来ずにいます。
地震発生時、大勢の留学生が学ぶイーストウエスト日本語学校では午後クラスの授業中でした。これまで感じたことがないほどの大きな揺れにも、皆冷静に整然と近くの公園に移りました。そこには、日本語教師への信頼感と、仲間と一緒にいる安心感がありました。
数日前に来たばかりのヨーロッパやアジアの高校生達は、ホームステイ先に帰るのが大変でした。そこで、学校の近くにある宮ニ町集会所をお借りして、みんなで泊まることになりました。何枚のもの毛布を持ってきてくださる方、たくさんのおにぎりを作って届けてくださる方、お菓子やお水を差し入れてくださる方、高校生達は日本人の温かさに触れ、大感激。私たち教師も「地域社会の中で、地域の方々と共に歩んでいる日本語学校」であることを改めて感じさせられました。
しかし、翌日からが大変でした。学校は、通学の足が止まったり、ラッシュで怪我をすることなどを考え、休校にしましたが、教師に相談をする学生が何人も学校を訪れました。自分達は日本でもっと勉強を続けたいのだけれど、国の両親や友人が帰国を強く勧めることに対して、どう対応したらいいかという相談がほとんどでした。
もちろん日本のメディアの報道にも問題があることは否めません。曖昧な言い方をする東電に、遠く離れた国々では、「日本は原発で、なにか隠しているのではないか」と疑心暗鬼になっていったのです。即刻帰国指示を出した国、せっかく第一志望の大学に合格した息子を「日本は危険な国だから、留学などしてはいけない」と連れ戻した親達・・・・・・。こうして留学生達をはじめ、大勢の外国人が日本を去っていきました。
「海外のメディアのあり方に疑問を感じる」という私の発言に、タイの知人はこう語り始めました。「2004年12月のプーケットの津波の時のことを思い出してください。あっと言う間にバンコクにいる日本のビジネスマンは大勢帰国してしまいました。バンコクとプーケットは、600キロも離れているのに~~~」
海外メディアの大げさな報道、まるで「日本沈没」であるかのごとき報道が、留学生たちの帰国ラッシュに拍車をかけたのは事実ですが、留学生に言わせれば、日本のメディアも同じこと、メディア全体で反省すべきことなのだと言います。
「先生、日本もそうでしょ。外国でこれだけの災害、地震とか原発事故とかあったら、どんどんニュースを流すでしょ。その時、どこまで調べて適切に伝えていますか。ビジネスだから、どうしても視聴者が増えるやり方ばかり考えちゃいますよね。これを機会に、全世界で報道のあり方について、真剣に考えていく必要があると思います」
さらに、日本人の表現の仕方にもひと言触れてくれました。
「どうして日本人ははっきりしない言い方をするんですか。原発のことでも、あんな言い方をしたら、「本当はどうなの?何か恐ろしいことを隠しているんじゃないか」と思ってしまいますよ。自分達の言い方、表し方を世界の人々がどう受け止めるかについて、もっと理解したほうがいいと思いますよ」
そして迎えたオリエンテーション。ニコニコ顔で現れた新入生に、私は「ご両親の反対はなかった?」と聞いてみました。その質問に対して、ヨーロッパから来たBさんはこう答えてくれました。
「テレビですごいですよ。東京には飲むための水がない。スーパーには食べ物も売っていない。停電して真っ暗。道を歩く人もいないし、電車もほとんど走っていない。東京は今、何も活動していないと言っています。こんな報道を聞いて、私はびっくりしましたが、すぐに日本にいる日本人の友達に聞きました。そして、友達の詳しい話を聞いて、予定通り日本に留学することにしました。来て、やっぱり友達の話が正しかったことを知りました。でも、先生、あの大型ジェット機に、お客さんはたった20人ですよ。びっくりしました!」
午後には卒業生の韓国人Cさんがひょっこり顔を出してくれました。日本が大好きなCさんは、これからあと3年間、日本の大学で勉強を続けます。
「先生、日本人って、津波で家を全部流されても、泣き叫ぶんじゃなくて、耐えてるんですよね。すごいと思いました。それから、助け合いの気持ち。豚汁をもらうために長い列を作って順番に待っている姿。どうして自分が先、って列が乱れないんですかねえ。不思議ですねえ。自分の国じゃあ、ちょっと考えられないんです」
こんな日本人の良さを再確認しながら、悲しみや苦しみで下向き/内向きになってしまった日本社会が「明るく元気な社会」に生まれ変われるよう、みんなでがんばっていきたいと思います。その時に、日本で暮らす外国人の存在を忘れず、温かい支援を申し出てくれている外国人への感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思います。
嶋田先生
今回の地震は本当に驚きました。私も当日は東池袋の日本語学校で作文の添削をしていましたが、留学生はもとより、講師の方の中にも恐怖のあまり泣き出しそうな方や、危険をも顧みず屋外へ飛び出す方があり、「大丈夫だから、落ち着いて」と言いながら、ドアト窓を開けました。大半の学生は学校近くの寮に住んでいるので、どうしても帰宅できない学生は数人でした。帰宅できない講師の方には申し訳ないと思いつつ、子どもたちとも連絡が取れなかったので、私はバスで帰宅しました。大渋滞にあい、徒歩で帰宅する人々の多いことに驚きました。
イーストウエスト日本語学校のみなさん、ご無事で何よりです。東京は東北出身の方が多いですから、講師の方の中にはご家族が被災された方もいらっしやるのではないでしょうか。
昨年7月から、「風の会」でお世話になっていますが、学生のみなさんとお話をするたびに、イーストウエスト日本語学校はとてもよくまとまっている、というかアットホームな印象を強く受けています。日頃の先生方のご指導が良いのはもちろんのことですが、みなさんのチームワークがすばらしいと思います。
「風の会」で私は学生のみなさんから、いろいろなことを学んでいます。自分の生まれ育った国を離れて、勉強することの苦労は大変なものですよね。想像を絶することもありますし、国の友達や両親に話しても、話さないよりはよいでしょうけれど、心配させるだけということも多いと思います。(私自身の留学経験からそう思います。)そんな時こそ、「風の会」でしょう。これからも、微力ですが、お手伝いしていきたいと思います。
森さん
コメントをありがとうございました。本当に3月11日は大変でしたね。何とかこの危機をみんなで力を合わせて乗り切っていきたいと思います。2月には仙台や盛岡の日本語教育関係者とお会いし、熱い思いを語り合ってきました。一日も早い復興を願っています。風の会もどうぞよろしくお願いいたします。近いうちに「風の会活動頼り」をホームページに載せる予定です。こうした「小さな草の根の国際交流/人間交流」が世界を変えていくのだとつくづく思います。