中国から来た金月さんと、台湾の李朕緯さんは、8月9日から二泊三日の予定で、「災害支援ボランティア」に参加しました。行き先は、津波の被害が大きかった宮城県東松島市、20人近い日本人と一緒に中野駅前を出発しました。
中国瀋陽の大学で建築を学んだ金月さんは、大学時代友人と一緒に33度の炎天下1ヶ月かけて、ベンチを作る作業をしたことがあり、炎天下での作業には自信満々、「何とか日本社会で役に立ちたい」と、ロビーに貼られたポスターを見て、即応募しました。「震災から4ヶ月以上が経ちましたが、住宅の床下や庭の泥出しや、側溝の清掃等に現地ではまだまだ人手が必要です」というポスターの文言が、金さんをボランティアへと駆り立てたのです。
一行は、何時間もバスに乗って東松島に着きました。津波の爪あとはひどく、瓦礫の山と化した街を見て、金さんは胸が詰まったと言います。でも、現地について金さんがまず思ったことは、「松島って、なんてすてきな自然があるところなんだろう!」ということでした。「こんなきれいな島が津波でやられちゃうなんて、悔しい! 早く元に戻って!」、金さんはそんな思いを胸に、みんなと一緒に作業を始めました。敷石をあげて中から泥を取り除く作業、瓦礫を取り除く作業、泥の中から出てきたものをきれいに水で洗う作業、いろいろな仕事がありました。
作業は決して楽ではありませんでしたが、みんなと一緒にやっている楽しさ、少しずつ復旧していく現状に、喜びが沸いてきたと言います。「やっぱり来て良かった。日本に留学しているんだから、自分も社会の一員としてボランティアをしたい」という金さんの気持ちは、一緒に作業をしている人、被災地の人々にも通じました。
ボランティア体験を語り終えた金さんは、私にこんなことを話してくれました。
「先生、津波でたくさんの家が壊されたけど、日本の建築はすごいです。津波には、どうしようもなかったけど、あんなに大きい地震でもしっかり立っている建物に、私は驚きました。日本の建築から習うことはいっぱいあります。それをたくさん知ることができました。建築の方法がしっかりしているのは、すごいです!」
日本の技術の素晴らしさを改めて知った留学生達、もっと心に残ったのは、日本人の行動だったと言います。整然と並んで水を受け取る人々、大災害の前に泣き叫ぶのではなく、みんなで粛々と行動する人々、「自分の国では考えられない」という学生達も大勢いました。私たち日本人は、自分達の良さ・強さを知り、それを誇りに思いながら、これからも国際社会の中の一員として、さまざまな人々との協同の中で生きていきたいと思います。