第46回留学生による日本語スピーチコンテスト―マリナさん、準優勝!

 

スピーチをするマリナさん

スピーチをするマリナさん

早稲田大学国際学生友好会(WIC)主催の「留学生による日本語スピーチコンテスト」は今年で46回目を迎えました。私は残念ながら仕事があったため、応援にかけつけることはできませんでしたが、「準優勝」という嬉しい知らせが飛び込んできました。

このスピーチコンテストは、大学生の手で企画・運営が全て行われるものですが、大きな特徴の一つとして「アドバイザー制度」があります。つまり面接をして残った8人の出場者に対して、10人程度の日本人大学生である会員がグループを作って、担当アドバイザーになるというシステムです。「どうやったら自分の思いを観客にうまく伝えられるか」を共に考え、スピーチを練り上げていくのです。

結果よりももっと大切なのがコンテスト当日まで続くこのプロセスです。1ヶ月以上もの間、何回もミーティングを重ね、時にはおしゃべりに興じ、悩みを打ち明けあけたりしながら、一緒にスピーチを作り上げていく作業は、いつまでも心に残ります。

今年は、出場権を得た8人のうち7人までが早稲田大学で学ぶ留学生。外部はイーストウエスト日本語学校のマリナさん1人という状況でした。何にでも挑戦したいという好奇心旺盛なマリナさんは、「チャレンジすること」そのものを楽しみながら、コンテストの日を迎えたと言います。

では、「第46回留学生による日本語スピーチコンテスト文集」より、マリナさんの自己紹介とスピーチ原稿をご紹介したいと思います。どうぞお楽しみください。また、3年前に書いた記事も合わせてご覧ください。

「留学生の想いを言葉に、言葉を心に~43年目のスピーチコンテスト」

http://nihongohiroba.com/?p=195

★★   マリナ・シャベルニコワ(ロシア:女性) ★★

【マリナに聞いてみました!】 

1.趣味・特技は何ですか?

 ―趣味は箏、書道、山登りです。

2.どうして日本に留学しようと思ったのですか?

 ―両親のおかげで、日本に留学しようと思いました。

3.日本に来て驚いたことはありますか?

 ―日本はとても静か。電車の中で電話をしないで、電車を降りるまで待っている。日本ではカメラや財布などを落としても、誰かが交番に届けてくれる。ロシアで落とした時はこれで終わりです。

4.好きな日本語を教えて下さい。

 ―日本語の言葉だったら、(霸(つきのくらいぶぶん))です。漢字は一つなのに、読み方は長いです。不思議だと思います。

5.日本でこれからやってみたいこと・目標などはありますか?

 ―もっと日本や日本語などについて知りたいです。

6.スピーチコンテストへの意気込みをどうぞ!

 ―楽しんでいます。がんばっていきたいと思います。

審査発表を待つマリナさん

審査発表を待つマリナさん

          ♪  ♪  ♪  「瞬間」  ♪  ♪  ♪

人はそれぞれ違います。皆、一人ひとり人生を歩きながら、毎日の生活を送っています。毎日が違っていて、どこかで人は生まれたり、どこかで大切な人を失ったり、何か幸せな思い出を作ったり、悲しみにあったりします。新しい経験をしたり、年を取ったり、何か忘れたり、何か思い出したりします。そして、私達は人生の時間の中で特別な瞬間を体験します。

今、隣に座っている人はあなたと違う服を着ていて、違う言葉で話しているかもしれない、そして国籍や考え方もそれぞれでしょう。しかし、どんな違いがあっても、皆はひとつになれる瞬間があります。そんな瞬間こそ国を越えて、皆はお互いの気持ちや心を分かちあい、一つになれます。いつどんな時そんな瞬間があるでしょうか。

私達は素晴らしい公演を見る時、好きなチームを応援する時、バレエやダンスをみる時、災害に遭う時にも、この瞬間が現れます。私がロシアに帰国した時に、母がボリュショイ劇場の公演にチケットを買ってくれました。高かったんですけどね。

劇場へ入る前に皆は違っていましたが、劇場の中では魔法のようなことが起こりました。人々が席に座って、幕が開いた時には、その状況はあまり変わらなかったけれども、公演が進めば進むほど皆は変わってきました。日本人やロシア人あるいはアメリカ人、どんな人でも、公演は皆の心を捕えて、観客はステージの上にいる人々と一緒にストーリに入り込みました。一糸乱れぬ動き、技術の美しさ、ダンスの真髄、そして、魔法的な音楽の流れとともに人々の心は変わってきました。隣の人と一つになりました。

幕が降りると、人々は「ブラボー、ブラボー」と叫びました。ある人は感動の涙を拭き、嬉しそうに顔をほころばせました。そして、皆は雰囲気に包まれ、ニコニコしながら、隣の人の顔をのぞいていました。この瞬間は自分一人のものではなく、皆と分かち合った瞬間だったからこそ、心の底から嬉しかったのだと思います。なぜでしょう。この瞬間、私達は自分だけの世界よりも大切なことを体験したからだと思います。芸術は人間を一つにしました。

そして、日本には色んな祭りがありますね。春の花見、夏の花火、秋の紅葉、冬の冬祭りなど、全国で約30万もあるそうです。そして、日本ではどこでも毎日祭りを行っています。祭りというのはやはり楽しい一瞬でしょう。たとえば、花火、日本人が一緒に集まって、花火が打ち上がるのを見る瞬間、皆は喜び、同じ瞬間を分かち合います。喜びは皆を一つにしました。

花見はどうでしょうか? 人は花の美しさを見ながら楽しい時間をすごします。大切な人と一緒に瞬間を共有します。自然の美しさは人間を一つにしました。

また、桜の花がしおれないことを不思議だと思いませんか。桜の花が咲き始めると、顧みることもできず、もう散る時が来ます。それは、私達の人生の中にある瞬間と同じように見えるでしょう。瞬間であるからこそ、すぐに消えてしまいます。

ところで、人は楽しい瞬間を分かち合うだけではなく、悲しい瞬間も分かち合います。日本が今年の3月11日の大震災に遭ったときに、全世界は心より亡くなった人の魂の平安を祈っていました。国とかかわりはなく、日本人と共に悲劇を体験しました。

大震災の危険的状況が終わったときに、どこに住んでいても、どんな仕事をしていても、どんな国籍を持っていても、多くの人はボランティアとしてその地域にいきました。どうして人々は沖縄や外国など遠い所からきたのでしょうか。自分自身があのようなことに遭って、一人でいたら、乗り越えられないと皆が分かっていたからだと思います。

震災の三ヶ月後、私は友達と一緒にボランティアで岩手県の陸前高田に行ってきました。その場所に着いて、私は大きなショックを受けました。津波の襲ったところには何もなかったのです。何もかも。町が瓦礫の山化している状況を見て、泣きたいほど苦しい気持ちになりました。命の息吹を全然感じられず、その恐ろしさを、悲惨な瞬間を目の当たりにして、認識した瞬間には、そこにいた皆は自分たちの必要性を理解しました。

皆は一所懸命がんばって、瓦礫を取り除きながら、その時に同じ気持ちを感じていたと思います。「そばにいる人々を支えたい、できるだけ頑張りたい」という気持ちで、一緒に作業をして、短い休憩の時間でご飯を食べて、すぐ瓦礫の片付けに戻りました。その瞬間こそボランティアに来た人々はひとつの力になったのです。悲しみは人間を一つにしました。

もちろん、現在には文化の違いがあり、言葉やマナーなどの違いがありますが、どんな違いがあっても、人は楽しいときは楽しい、悲しいときは悲しいものです。

愛情、喜び、悲嘆、同情、幸福・・・皆と分かち合ったそれらの気持ちを感じる瞬間は私達を一つにします。生まれながら人間はこの感情や感覚などを感じていて、それらを感じるからこそ人は人と共にする瞬間があります。この体験した瞬間に人のこころは豊かになるのです。

しかし、あくまでも瞬間は瞬間ですから、それは桜の花のように消えてしまいます。それでも、私達はそれぞれの人生を歩みながら、次の瞬間を待っています。もし、あなたがその特別な瞬間を体験したら、その思い出は大事にしてください。それらの瞬間が積み重なって、あなたの一生になるのですから。

賞状を手に

賞状を手に

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