「22才の交流」(2012年度なでしこ作文 優秀賞)

 (2012年度なでしこ作文 優秀賞)

「22才の交流」  楊 ヌリ(韓国・女性)

10年前、小学6年生だった私は自分が10年後には日本で留学生活をしているとは想像できなかった。否、日本という国に興味すらなかったのだ。そんな私がいまやもう日本での生活も11ヵ月。

11ヵ月という時間、私はどいう出会い、どいう交流をしたのかふりかえしてみた。日本へいるからといって日本人としか交流できるわけじゃないんだっていうことに気づいた。

しょうじき私は人がにがてだ。どうやって接っするべきか。いつも悩んでいる。日本に来るまでの高校時代だって人との関係や接っする方法がわからなくて悩みつづけた。

そういう私が人間との交流をまじめに始めたのは社会に出てバイトをした時からだ。留学費をかせぐために始めたバイト。お金っていうものの前ではいつのまにかそれにかかわっている人とまじめな交流が出来た。でも、いつもどこかが重い交流だった。それで私は学生の時代とはまた違う透明な壁を自分の周りに作って、半分だけの交流をつづけた。その時、私が感じたまじめな交流はどこかおかしいものだった。まじめすぎて本心はまじめに出来ない。お金というわくの中の交流をその時の私はそいう風に感じた。

最近の人間との交流といえば、やはり日本語学校のことを考える。考えてみると、学校に来る毎日が交流会だった。私のとなりはロシア人で、前は中国人、後はネパル人、ななめはタイワン人。あたりまえが皆育った環境も年齢もまったく違う人たちが集って考えを話し合う。だからかな。お互い違うことをちゃんとにんしきしているからこそ素直に話し合いながら交流が出来るかも。そうやってたまに自分が作った透明な壁にアナができて来るのを気づく。

11ヶ月間、授業という交流会を通してどんな変化があったのか考えてみる。私は高校時代と同じ今でも人間との交流がむずかしい。まだビビッている。それはなかなか治せないけど、一つはわかった。こんな私だけど、私と交流して来れる人々がいるということだ。

話がばらばらが、ただ自分の中の「交流」というものをもくもく書いてみた。

交流のことを考えるうちに、自分のことを真正面に向き合うことが出来てよかった。これからはもっとすなおに人間と交流をしてみたい。また10年後どんな出会いがあるか。

 

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