元気の秘訣は、あくなき好奇心~92歳の母、消防服にご満悦~

消防服姿の母(92歳)

消防服姿の母(92歳)

2010年の暑い夏、一人暮らしの母にいくら電話をかけても通じないという事態が起こりました。急ぎ実家に行ってみると、玄関で母は意識を失って倒れていました。大慌てで救急車を呼び、久我山病院へ直行。なんと母は少し前に久我山駅で「小走りのビジネスマン」に突き飛ばされ、歩けないほど足を痛めていたのです。

事故の日、駅員さんは「救急車を呼びましょう」と何度も申し出てくださったのですが、母は頑として「タクシーを呼んでください。一人で家に帰ります」と最後まで言い張って、帰宅しました。それは、「忙しく仕事をしている娘や息子に知らせたくない」という思いからだったのです。

その事故から、母の「ある工作」が始まりました。なんとか子ども達に気取られないように、「今、とっても忙しいから、家に来ないで。時間が出来たら連絡するから、絶対に!」という強いお達しがあり、それからしばらく電話だけのやり取りの日々が続きました。そして、その電話も通じなくなる・・・という事態が起こったのです。

入院後、大腿骨骨折と熱中症と診断され、すぐ手術を受けることになりました。術後お医者様から「一生車椅子の生活になる可能性は、かなり高いですね」と知らされ、私達家族は愕然としました。88歳の米寿のお祝いには、「ベージュの新しい自転車」をプレゼントされ、元気いっぱいだった母が、一人で歩けなくなる等、到底想像できませんでした。

こうして母のリハビリが始まりました。「頑張れば元のように歩けるようになるわよね。芝生の手入れもしたいし・・・。そうそう自転車にも乗りたいし・・・」と、母は意欲的にリハビリと向き合っていました。「リハビリじゃあ、皆さんによくして頂いているのよね。でも、こうして、自分に合ったリハビリ法っていうか、ポイントを書きとめているのよ。自分の体は、自分が一番よく分かっているから」と、母はどこまでも前向きで、研究熱心でした。

周囲の方々のご尽力と母の努力のおかげで、「車椅子 → 手押し車 → 杖」と、少しずつ「進化」していき、なんと1年も経たないうちに要介護3から、要支援にまで回復したのです。そして今は、自宅から歩いて2,3分の所にある介護施設で元気に暮らしています。今の母にとっての楽しみの一つは、ご近所を散策することです。ある時は庭々に咲く季節の花を愛で、ある時は目の前にある西高校のホームカミングデーのイベントに手拍子を鳴らし・・・・・・。

ある日のことでした。いつものように散歩をしていると、ちょうど「防災関連のイベント」に出くわしました。体験コーナーを発見した母は、すかさず「あのう、私も消防士さんの服を着てみたいんですが・・・」と尋ねてみました。消防士さんは、「どうぞ、どうぞ!」。母は生まれて初めて消防服を着て、大満足。そして、こんな会話を愉しみました。

消防士:お元気ですね。お幾つになられますか。
母:  今年92歳になります。
消防士:へえ、そうですか。また来年も是非いらしてくださいね。
母:  ありがとうございます。でも、しばらくはちょっと・・・。そうですね。100歳になった時にまた参加させて頂きます。その時もまた消防士さんの服を着させて頂きたいですねえ~~。

あの3年前の悪夢のような大腿骨骨折、熱中症、癌の手術・・・という

キーンさんと三姉妹

キーンさんと三姉妹

日々は遠い昔のことになりました。数か月前には、新たに親族のお一人になられたドナルド・キーンさんと二人の妹と楽しい昼食会もありました。90歳になられるキーンさんに「お互い長生きしましょう。これからもいっぱい面白いこと、楽しいことがありますから」と、語り合う母の姿に、私は目頭が熱くなりました。

参考:
「4人で合計355歳の会合~ドナルド・キーンさんと三姉妹の会」http://nihongohiroba.com/?p=3001

 

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